パリ・エコールノルマル音楽院の映画音楽作曲科の研究科と、パリ15区音楽院の指揮科1年を
それぞれ合格で修了しました!

そして、2年間の留学をおえて、2ヶ月弱前に日本に引っ越しました。
いまの時期にフランスから帰ること、本当に悩みましたが……😭
やんごとなき事情がいくつも重なり、複雑な思いで航空券を買いました。(帰国者にも様々な理由があるので、どうか責めないでください…🙏)
当時、フライトの急なキャンセルが相次いでいて、いろんな人の助けを借りて情報を集め、最後まで運試しの気持ち😭
飛行機が定時で飛んだときは、オランダ航空が大好きになりました😍🙌笑
友達から最高の防護マスクとゴーグルを餞別にもらって、めちゃくちゃ消毒しながらの帰国。最後の大阪便なんて飛行機ガラガラで、静まり返った異様な雰囲気でした。

関空のPCR検査や追跡体制、とてもしっかりしていて親切丁寧で、久々に日本らしくて嬉しかった😂🇯🇵❤️そして、2週間の隔離生活を経て、自由になりました🕊🌼
・・・
フランスで学ぶという夢のために、とくに家族、そして職場や友人……ほんとうにたくさんの人に迷惑をかけ、応援してもらい、お世話になりました。
2年間、大きな労力とお金をかけて、
ひとりで外国人が言葉を学びそこに住む許可をとり、マイノリティとして生活していくという苦労を買いました。
今となっては全部ネタですが、
パリ最初の夜は犯罪に巻き込まれて警察で過ごし、
ある日 街を散歩していたら機動隊が現れ「今から暴力的な運動が起こるからここら一帯を封鎖するよ、逃げな」と言われ走ったり、
パリ全交通網のストライキが1ヶ月半続き めちゃくちゃ歩いて脚がムキムキになったり、
築120年のアパートの床が腐っていることがわかり帰れなくなったり、
4ヶ月間 害虫大量発生の解決に苦しんだり、
マネーロンダリング犯罪を疑われ2ヶ月かけて解決したり(無実です)、不法滞在の回避に奔走したり(無実です)、
2ヶ月間のロックダウンでは、一日一回時間制限の外出のみ、家の周り1kmを越えると罰金、公園まで閉鎖、生鮮市場が遺体安置所になり、初期はアジア人差別の実情に震え、(※ほとんど全てのフランス人は、優しく親切で、全くもって差別主義者ではありません😊)、
近くに誰も住んでおらず不安が増し、1年留学を延ばしてまで受けたコンクール決勝や本番が消えて落ち込み、一人暮らしの5畳のアパートで過呼吸と偏頭痛を繰り返し…….
など……😇
生きるためにたくさん闘って、強くなったというよりボロボロになって、ずいぶんおおらかになりました😇笑
それでも、総じて、
たくさんの素晴らしい芸術や人、街との出会いや、学校や国際コンクールで結果を出せたこと、
様々な国の仲間と笑い、想いを分かち合った日々を考えると、心から行ってよかったと思っています。
全力で学んだ自分を褒めてあげたいです💐
大阪人的にいうと、
出した金の元は取った!💪笑
だから、もう一度、
弱い私をいつも支え、想ってくださる方々に、思いっきり感謝を伝えたいです。
いまは、私の音楽を世の中の人に聴いてもらいたい。でも、自己満足の発表会ではなくて現実の人たちに楽しんでもらえる空間を作っていきたい。音楽家として広く社会の役に立ちたい。
そんな思いから逆算して、わたしに出来ることを模索しています。
これからも応援していただけると嬉しいです!

……やっと気持ちの整理がついてきたので長々と綴ってしまいました。最後まで読んでくださりありがとうございました😊