2020.11.18 <なり方>クラシック音楽の作曲家②

前回は、日本とフランスのクラシック音楽の土壌の違いや、「クラシック=他国の古い音楽」なのに なぜ現代日本に大森のような作曲家が居るのか、私たちの仕事がどんなものであるのかをお話しした。今日は一歩進んで、私たちがこの仕事をすることのできる「根拠」をより具体的にお伝えしようと思う。

作曲家のほとんどは、何かの楽器をやっていた延長で始めている。私の場合は4歳から習ったピアノだ。音楽の習得法は言語のそれに似ており、「音楽を聴いたり弾いたりできる」ということは、「日本語を聴いたり話したりできる」ことにとても近い。乳児が大人の言葉を聴きマネて話し始め、やがて成長に合わせて読み書きの力を養っていく学校教育の「国語」科目のように、「音を聴く、弾く」を、「音を読む、書く」と組み合わせ総合的に言語力をアップさせるのが音楽教育における「ソルフェージュ」や「楽典」という学問なのだ。

そうして、演奏・ソルフェージュ・楽典から始まった音楽教育から、作曲のプロとなるまでを図にしてみた。(このあと一つずつ説明するので、今はやんわりご覧ください)

長い道のりに見えるだろうが、実際長い道のりである。「音大入学ライン」が半ばにあるように、もし音楽で、現役で大学に行きたいならなるべく若くから始めないと全く準備が間に合わない。音楽はよく「天才の世界」のように見られがちだが、あるラインまでは基本的にはガッチガチの学問であり、学校の勉強や受験が付け焼刃でなんともならないのと同じで、コツコツ音を立てて登っていくものだ。

また、それぞれの項目になぜ何年もかかるのかというと、前回「2020.10.30 <なり方>クラシック音楽の作曲家①」でお伝えしたように、プロになるにはひとりの学者として、西洋音楽の数百年の歴史における、数えきれない研究者(作曲家)の論文(楽譜)を1つずつ自ら実践しながら知識・技術として会得していくしかないからだ。

音楽史には「バロック」「古典派」「ロマン派」「近代」「現代」など、曲の様式が革命的に変化した時代毎に区切りが付けられており、音楽家は、各時代の様式や考え方、ルールなどを順を追って学んで現代までたどり着く。数百年を数年にするのはあまりにハイライトだが、各時代の研究者になるのでなければ超有名どころの楽譜・・・つまり時代を革新してきた楽譜を分析し、技術や理論を取り出したり、模範にして作曲したり、演奏したりして網羅して概要を会得するようにせねば人生が足りない。

↑ とくに、「ピアノ演奏」「巨匠の楽曲分析」「作曲」の項目で、時代を追う。

さて、ここからは、プロになった作曲家が通常すでに習得している技を、めちゃくちゃザックリ「社会で生きていくのに必要な力」に例えて説明してみることにする。

まず、「ピアノ演奏」「楽典・ソルフェージュ」のチカラだけれど、それが作曲家に必要なのはこういう理由からだ。

・・・これ、結局は、社会で「働く以前にコミニュケーション力がほしい」ということだ。(ざっくり)

 

ドンドンいこう。次に「和声学」だが、概要はこんな感じ(↓)だ。ややこしそうに見えるが実際ややこしく、この学問ゆえに作曲は「聴こえる数学」とも言われる。「作曲が感覚だけで出来そうに思え、憧れで始めただけの人」は、この和声学の千本ノックの時点で挫折する。

この「和声学」も結局は、「社長(メロディやベース)に従う社員(その他の音)というシステムの中で、いかに会社を円滑に経営するか(ハーモニー = 調和のとり方)」という、人海戦術の使い方や、リーダー論みたいなものだ。

 

次に、「対位法」だが、いわばこんな感じ(オレンジ字)。↓ 

「曲の様式」や「楽曲分析」も、つまりこういうことだ。↓

 

「楽器の特性」「オーケストレーション」については、例えるなら「人間観察」や「人を使うチカラ」みたいなものだと思う。

 

以上のような基礎をやりつつ、同時に実践「作曲」を重ねていく。

ビジネス論の中で「経営はセンスだ」という言葉を聞いたことがあるが、センス以上に知識とそれを応用する技術がなければスタートラインにも立てないことを多くの人が知っている。同じように、「音楽はセンスだ」と他の分野の方に言われることを決して否定はしないが、スタートラインに立つために諦めずに登ってきた人たちがクラシック音楽の専門家であることを、ぜひ知ってほしい。

そして、次が私たちにとって最も大切なことで・・・最初の図における「作曲」についてお話しする。

そしてこちらは私の意見だが、

・・・などと考えて日々創作している。

ただし、私のこういう気持ちは、決して崇高な美しい理由から生まれたのではない。ただ一人の、自分に負けるのが大嫌いな欲深い女が、七転八倒しながら、大好きな世界の中で生き残ろうとしているだけだったりする。

幼い頃に衝撃を受けた、『スタジオジブリ』作品や『ハリーポッター』、ディズニーの『ファンタジア』、『ベイブ』など(クラシック系だが、どれも物語に因んだ音楽)、映像を通して触れた熱い音楽に涙を流しながら、私はいつしか、「私も作曲家として感動を作る側になりたい」と思うようになった。そして、先生に弟子入りし 入った道で学ぶうち、私の頭の中にはたくさんの音が溢れていることに気づいた。勉強が進んでくると、頭にある思想と音を楽譜に書き起こせるようになってきたものの、技術が足りないうちは演奏科の友人やプロに弾いてもらっても、それが私の頭の中にあるような美しさには聴こえず、その理由は明らかに楽譜側の問題にあり、悔しかった。「もっと演奏される機会を持ち、もっと楽譜を書いて技術を上げ、頭の中にある音楽をちゃんと聴きたい」という欲からチャンスに手を伸ばし続け、少しずつできるようになる喜びの中毒になり、大学、大学院、さらには留学までして、仕事を持つまでになってしまった。崇高っぽい想いは、そんなドロドロの道を振り返った後から見つけたものなのだ。

 

さて、まとめると、

・・・だ!

以上の説明で、クラシック音楽の作曲家の<なり方>、伝わっただろうか。

そして、音楽はどこまでいっても、聴くものだけれど、私たちがいかに「書く」ことをも重視しているかも伝わっただろうか。

宮崎駿監督作品で有名な作曲家・久石譲さんは、「美しい音楽は楽譜が美しい」という言葉を著書でおっしゃっている。おそらくこれは、作曲家にはめちゃくちゃわかる話で、小説家や作詞の方も納得するかもしれない。「字面が美しい」というのは、アスリートのフォームが美しいことに近く、その道の人には一見して洗練されていることが分かる基準でもある。

「聴こえる数学」「伝統芸能」「世界を文字に書き起こす作家」「言葉一つひとつを生き物として役割と効果を知り、魔法の呪文をつくる」・・・私はなんて夢のあるものをやっているのだろうと、誇りに思っている。

 

(追記)私がここまで長々と図解までするに至った情熱のウラには、「若いこと、女であること」、「感性でやるっぽいという世間の認識」、「強すぎるポップス文化」など、私が専門家として頑張ろうと思うたびに付きまとってきた諸々の壁へのくやしさがある。それについては、またいずれ別の記事で触れたい。

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